友達といる時はバカみたく笑いっぱなしです。
昔からの友達や子供たちのお母さんや、
お客様からお友達になった人
誰と居ても幸せなんです。
女性の気遣いや面白さや利口さ、友人との時間はたくさん勉強する事が多くていつも新鮮で、
友人との時間は心から安心して過ごせていると思います。
前にも書きましたが、占い師として以前に人の気持ちの感じやすさで
子供時代は人と接するのが怖かったり考えたくなかったりしました。
社会に出てからも人の裏は解るけれど上手く立ち回れなくて
その分たくましくなりましたが強くなり過ぎて恐ろしいほど正直者になりました。
両親は15で居ませんでしたから、働く事に必死で生意気で可愛げが無いと男性や目上の人に言われましたが
友人の支えがあるから学業も仕事もくじけないでこれたのでしょう。
その中で占いは師匠のもと密かに温め続け、師匠のゴーサインから突然に
職業・占い師になりましたから、
仲良しの友達は驚きもせず皆応援してくれたけれど、
そうでない人たちの「占い師という肩書きのフィルター」は大きかったです。
人の悩みに触れるお仕事ですから、「いい人」という人間像を皆さん期待するでしょうから、
どこで何していたか解らない私が急に占い師になって行列ができてテレビに出てという状態になった時に、
私もその手応えについていっていませんでしたが、
元々知っていたあまり知らない人たちは当然不審がりました。
気の強い性格をしていますから、占い師というイメージにはやはり誰が見てもあてはまらないのです。
ある日。あまり面識の無い男性が突然肩で風を切って歩いてきて
「お前みてぇなインチキ商売なんざぜったいロクな死に方しねえんだからな!」
と怒鳴りつけて来られました。
確かに占い師というと、怪しいと伏線を引く人はもちろん覚悟はしていましたが、
それまでは普通の会話をしていた人が私の言葉ひとつひとつに敏感になるようになりました。
「相談がある」というから聞くと、
これからどうしようかという質問でなくて、
「これからどうなる?」という鑑定依頼だったり
現状の質問をすると「誘導尋問じゃないですか(笑)」と答えを拒んだり
病院の話題だったので「○○病院いいよ!」と言うと
「○○病院に行けば治るというお告げですか?」
と聞かれたり
人見知りは元々あるのでわざわざ友人は作らないけれど、
占い師になって数年は
「占い師として生きなきゃならない」
と、急に違う人種になったような孤独感が芽生えました。
逆に言うと、自分からもそういう距離を作らなきゃいけないと思う所もありました。
優しく伝えると現状以上の答えを期待されてしまう。
雑談は時間稼ぎに思われる、
鑑定開始からすぐ答えを出さないと時間稼ぎに思われる、
鑑定結果以外のアドバイスは雑談の時間稼ぎと言われる。
否定されそうな要素は一切削りました。
人が不満にならないなら、占いの自販機で全然良いと思いました。
人をみると、どのような人か、私をどのように見ているか解るから、
私が占い師じゃなければ偏見もなく仲良くなれたのにな、と感じたお客様も多くいます。
これが仕事だから、それ以上の何を慕われなくても結構と思っていました。
それは、今も変わらない所です。
それでも、鑑定が終わる頃にはその人それぞれへの気持ちは残ります。
そして、占いだけの話をしている中に私のそれを汲んでくださるお客様も多くいる事に気づきます。
鑑定中の合間のお話しだけでもその人の温かさが感じて、
この仕事だからこの人の話が聞けたということがとても嬉しかったりします。
そんな感じで月日を重ねていたら、
先ほど書いた「占い師なんて…」と威嚇していたお兄さんが、テレビに出てる占い師(わたし)と仲良しだと言っている噂を聞きました。
私はあれ以来話しをしていないのに面白いものです。
私としては、出産だったり手術だったり色んな事があっても仕事は変わらず続けているから、
そのお兄さんよりも1回でも私の所にわざわざ足を運んでくださったお客様の方がよほど共に歩んで来た友人だと思っています。
またいつも変わらず見守ってくれた友人たちも。
人が解って怖いぶん、人の心に触れるととても嬉しいのです。
昔からの友達や子供たちのお母さんや、
お客様からお友達になった人
誰と居ても幸せなんです。
女性の気遣いや面白さや利口さ、友人との時間はたくさん勉強する事が多くていつも新鮮で、
友人との時間は心から安心して過ごせていると思います。
前にも書きましたが、占い師として以前に人の気持ちの感じやすさで
子供時代は人と接するのが怖かったり考えたくなかったりしました。
社会に出てからも人の裏は解るけれど上手く立ち回れなくて
その分たくましくなりましたが強くなり過ぎて恐ろしいほど正直者になりました。
両親は15で居ませんでしたから、働く事に必死で生意気で可愛げが無いと男性や目上の人に言われましたが
友人の支えがあるから学業も仕事もくじけないでこれたのでしょう。
その中で占いは師匠のもと密かに温め続け、師匠のゴーサインから突然に
職業・占い師になりましたから、
仲良しの友達は驚きもせず皆応援してくれたけれど、
そうでない人たちの「占い師という肩書きのフィルター」は大きかったです。
人の悩みに触れるお仕事ですから、「いい人」という人間像を皆さん期待するでしょうから、
どこで何していたか解らない私が急に占い師になって行列ができてテレビに出てという状態になった時に、
私もその手応えについていっていませんでしたが、
元々知っていたあまり知らない人たちは当然不審がりました。
気の強い性格をしていますから、占い師というイメージにはやはり誰が見てもあてはまらないのです。
ある日。あまり面識の無い男性が突然肩で風を切って歩いてきて
「お前みてぇなインチキ商売なんざぜったいロクな死に方しねえんだからな!」
と怒鳴りつけて来られました。
確かに占い師というと、怪しいと伏線を引く人はもちろん覚悟はしていましたが、
それまでは普通の会話をしていた人が私の言葉ひとつひとつに敏感になるようになりました。
「相談がある」というから聞くと、
これからどうしようかという質問でなくて、
「これからどうなる?」という鑑定依頼だったり
現状の質問をすると「誘導尋問じゃないですか(笑)」と答えを拒んだり
病院の話題だったので「○○病院いいよ!」と言うと
「○○病院に行けば治るというお告げですか?」
と聞かれたり
人見知りは元々あるのでわざわざ友人は作らないけれど、
占い師になって数年は
「占い師として生きなきゃならない」
と、急に違う人種になったような孤独感が芽生えました。
逆に言うと、自分からもそういう距離を作らなきゃいけないと思う所もありました。
優しく伝えると現状以上の答えを期待されてしまう。
雑談は時間稼ぎに思われる、
鑑定開始からすぐ答えを出さないと時間稼ぎに思われる、
鑑定結果以外のアドバイスは雑談の時間稼ぎと言われる。
否定されそうな要素は一切削りました。
人が不満にならないなら、占いの自販機で全然良いと思いました。
人をみると、どのような人か、私をどのように見ているか解るから、
私が占い師じゃなければ偏見もなく仲良くなれたのにな、と感じたお客様も多くいます。
これが仕事だから、それ以上の何を慕われなくても結構と思っていました。
それは、今も変わらない所です。
それでも、鑑定が終わる頃にはその人それぞれへの気持ちは残ります。
そして、占いだけの話をしている中に私のそれを汲んでくださるお客様も多くいる事に気づきます。
鑑定中の合間のお話しだけでもその人の温かさが感じて、
この仕事だからこの人の話が聞けたということがとても嬉しかったりします。
そんな感じで月日を重ねていたら、
先ほど書いた「占い師なんて…」と威嚇していたお兄さんが、テレビに出てる占い師(わたし)と仲良しだと言っている噂を聞きました。
私はあれ以来話しをしていないのに面白いものです。
私としては、出産だったり手術だったり色んな事があっても仕事は変わらず続けているから、
そのお兄さんよりも1回でも私の所にわざわざ足を運んでくださったお客様の方がよほど共に歩んで来た友人だと思っています。
またいつも変わらず見守ってくれた友人たちも。
人が解って怖いぶん、人の心に触れるととても嬉しいのです。
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