息子2が入院したのです
2012.06.28 12:53|雑記|



夕方に熱が出た息子2。
夜中にひきつけを起こして、おさまりまた眠りについたので
1歳の時もひきつけた後にケロッとしていたので
朝になったら病院に行こうと思ったら
またひきつけを起こしました。
夜中の子供を受け入れてくれる病気は限られてしまうので、
まずは救急センターに電話して看護師さんと相談しましょう。
「救急車要請してください。」
は、はい。
10分後に救急車。
抱っこされて救急車に乗る息子2。
病院について
「着いたよ!またおじさん抱っこしてあげるからね!」
「…ママがいいんだけど?」
…感じ悪っ。
CT取って、血液取って、
脳炎では無いかと髄液取って、
熱40度
朝方になりぐったり眠る息子
点滴のおかげか少し顔色が戻り目を覚ましムクッと起き上がり
痛くした救急車そと何も見えなかった手の針いらないお部屋暑いくらいもう帰る
一通り文句を言って背中を向けてやさぐれる。
検査の結果が解って熱が下がって元気になるまで入院とのこと
4プラから病院、病院から4プラの生活をしました。
幸い、個室でシャワーもある病院だったので不自由は無かったです。
シュンとしている息子2。
この子だけは逆子で帝王切開だったし、
私に似てひょろひょろと縦に伸びて儚げで何か心配で
何の異常も無い事を心から願いました。
ただ、こんなでも仕事は何ら変わりなくできるものだなと閉店際に自分に関心したり
母親としてこれはどうなんだ?と自問自答もしました。
数年前、千歳でお仕事をした時に祖母が危篤だと病院から電話があった時も
たまたま、その日のイベントは他にベテラン先生が何人もいらしていて、
お姿が見事な貫禄の先生や豪華な容姿の素敵な先生ばかりで
普通の人というスタンスでいる私が本当に、
その並びの中でスポンと穴が空いたようにみすぼらしいものでした。
そのイベントのアルバイトの女の子たちが私を見てクスクスと笑っているのも知っていましたから、
お仕事をまっとうして
新米の私にもお仕事をくださったイベント会社の方を納得させる事がその日の目標でしたから、
病院の電話でその席を立つ事は出来なかったし
同じ仕事人間だった祖母の思いにも叶うものと言い聞かせて仕事を終わらせて、
吹雪の中道北まで走った記憶があります。
そのように、4プラの仕事を終わらせてまっすぐ病院に行って息子を寝かしつけて、
点滴の様子を見つつ眠りを繰り返し
朝の6時に息子が目を覚まし
「ママー?2のお熱計ってみたらはー?」
起きると息子のドヤ顔
熱、36.1度
「2ね、おうちに居たいんだけどー?」
そうか、元気か。
胸なでおろし、母シャワー。
檻のように柵の高いベッドでテレビを観る息子
シャワーから戻るとチャンネルが変わってる
「?誰か変えてくれたの?」
「さく越えて~♪」
ドヤ顔
別の理由で入院しないとならなくなるからやめなさい。
元気になりよく喋る息子。
のんびりと乙女のように話します。
だから、よそ様が聞くと
以前に階段から落ちて脳外科に行ったら先生が
「か、階段から落ちて喋り方変わったんでないよね。」
と心配されるほどで
看護師さんの検温
「ひきつけてから話し方変わったとか無いですかー?」
素です。これが標準語です。
で、
帰りたいの公園で自転車のりたいのお買い物して子供の遊ぶとこで遊びたいのゲームしたいDVD観たいお寿司食べたい先生心配してるから会いに行くの
そんな願いも叶い退院しました。
息子1はそんな2をよそに暇が出来ればさっさとバイクのウェアに着替えて裏の山までバイクを押して乗りに出掛ける生活をしていました。
平和な我が家です。
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