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ニイナ・ゲイトの俗世記録

おばあちゃん

皆様お盆休みは帰省されますか?

予定が無くても、心の中で亡くなる方を偲ぶ日です。


こうして物心ついた時から
「ご先祖様が帰ってくる」
と聞かされていれば
ニイナさんだって死んだらお盆にはこの世に化けて出なきゃと考えますから
誰か彼かは側にいるはずでしょう。




ニイナさんはさらに、今日は祖母の誕生日です。


84歳で亡くなるまでずっとパワフルで
お姫さま気質の母と叔母を育てたとは思えないほどクールな女性でした。


背丈は私の胸ほどの小柄な人なのに

淡々と家事と仕事をやりこなし
「人に甘えるなんて愚かしい。」と
人づきあいも生活も一切の無駄のない人でした。



その性格は見事に母と叔母を飛び越えて、
ニイナさんと従姉妹が貰いましたから、

遺伝子って面白いものです。



街の繁華街を作った家ですが一人で上京しまた戻り、
終戦後にその土地で一人で店を出し、
一人で母と叔母を育てて来た人ですから色んな思いをしたのでしょう。



声をあげて笑うこともなく、
家族の誰が何かをしようとすれば必ずブレーキをかけて制しようとして、

ただ本当に黙々と働く人でした。



そんな祖母は、亡くなる最後の3ヶ月に、

今まで見たことの無い、とてもとても幸せな笑顔を見せるようになりました。


認知症でした。


入院生活が長くなったからでしょう。



病室に私が顔を出すと


「あら。」


とは言うものの


祖母は外を指さして


「祇園のねえさんがね、三人して出かけてきて…」


と今まで話そうともしなかった子供の頃の話を始めるのです。


というような反応しかなく、

また祖母から点滴の管を指さして、


「これはパレードに使うんだね」


と嬉しそうに身支度を始めようとして看護師さんに止められたりもしていたのですが


息子を連れて行くと、


「可愛いねぇ、こんな可愛い子供見たことが無いよ。」

といい、その日一日は私の顔を見ても

「子供、あったかくしないと。風邪ひいたらかわいそうだから。」

しか言いませんでした。
私の子供の頃も夏でもタイツを履かされていましたから。


看護師さんに息子を指して

「この子はだれ?」

と聞かれると

「孫」

と答えます。


私を指すと

「いとこ」

と答えるのですが。



ニイナさん子供の頃は

「おばあちゃんが死んだらどうしよう

ボケちゃったらどうしよう」

なんて考えるたびに不安になっていたのですが


今、その姿があまりにも幸せそうに居るので
楽に受け止める事ができました。



その後静かに天に召しましたが


のこされた形見の中には知ってる子供たちに配るはずだったお菓子や洋服がたくさんしまってありました。



不器用だけど、人を守る事ばかり考える人でした。



祖母のお店「ぎおん」があった場所は繁華街になっていて、
「ぎおん通り」と名前がついています。



もう実家はありませんが今度の定休日にお墓参りと
その通りの祖母と母の好きだった喫茶店に行ってこようかと思います。



皆様も、よい休日と週末を!
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